腰越漁業の歴史と発展 |
当社の所在地腰越はその昔は半農半漁の村だった。 腰越津地区(西鎌倉寄り)は一面田んぼで農業も盛んだったが、今は全て住宅地に変身した。 現在田んぼは広町の森入口の処で、森を守るボランティアの人達が稲作をしてるぐらいだ。。 相模湾の穏やかな気候と小動岬の地勢から風よけの効果も大きく、岬の左右に小さな船着場が在り、腰越地区の海側は昔から漁業が発展してきた。 大正3年の大しけで,生簀(いけす)の止め置きに出船した漁師50が遭難した悲しい歴史もある。 昭和の中頃、小動岬の西側に防波堤を築き腰越漁港が完成。 当時の釣りブームに乗り、漁師は本業と遊漁船でも働けるようになれた。 次がシラスブームで今でも続いている。 電車通りの食堂ではどこでも「シラス丼」を出してくれる。 雑誌で有名になったシラス屋さんは海側にも第2店舗をだした。それでも休日には店の外まで客が並ぶ。 漁業の発展とともに腰越漁港の整備が進んでいる。 今までの倍以上の広さとなり突堤も高くなった。完成ももう間近のようだ。 腰越漁港で水揚げされる魚は何れも新鮮、ワカメと地タコは特にお奨めです。 小動神社見晴らし台からの腰越漁港 2008.10.10 同上よりの現在の漁港 2013.4.18 神戸川沿いの突堤の延長工事は今暫らく掛りそう 2013.4.18 漁業組合建物の横に建つ大正3年10月1日の遭難慰霊碑 |
by isoda-shonan
| 2013-04-19 12:03
| コラム
|
Comments(1)
Commented
by
Misa Hayashi
at 2015-03-01 12:48
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はじめまして。
地域に残る災害の痕跡について調べている過程で、西浦の海難事故について知りました。 供養塔の場所が分からずにおりましたので、助かります。ありがとうございました。
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