元興寺1400年前の瓦 |
もうじき震災記念日です。大正12年9月1日に発生した関東大震災では、全半壊21万戸という大被害をもたらしています。 この震災を契機として、関東地方では瓦屋根が減少しました。震災時の民家は日本瓦が多用されていましたが、復興後はトタン屋根や軽いスレート瓦が用いられています。一般的に家は屋根が重いと倒壊しやすいという、風評によるものでした。この傾向は今も続いており、関東の都市部での日本瓦の家は少なくなっています。 関西や日本海側の地方に行くと、瓦屋根の家が多く見られ、日本の故郷を感じます。 お盆の休みに、家内のご先祖のお墓参りに奈良に行って来ました。奈良市内や天理では、瓦というより「いらか」と表現した方がマッチする家並みが多数残っています。街の風景と一体化させるには、伝統的な和風住宅と「いらか屋根」が必然の様に思われます。 ご先祖のお墓は「奈良元興寺」のすぐ横のお寺さん。今まで何回もお参りに来ていますが、「元興寺」には寄ったことがありません。 今回は参詣することにしていました。 入り口の受付で係りの人から屋根瓦の説明を受けてびっくりしました。 世界遺産にも登録された「元興寺」には、日本最古の瓦が使用されていました。 588年、百済から瓦博士が派遣され、日本で初めて瓦が造られました。この瓦は元興寺の前身の法興寺(別名 飛鳥寺)に使用されていましたが、奈良に元興寺として移った際に瓦も運び出されて、現在の「本堂」と「禅室」(いずれも国宝)に数千枚が使用されています。588年のことですから、今から1419年前の瓦になります。 左右に上反りした2枚の平瓦の合わせ目に、円錐形の丸瓦を乗せています。平らの面より、筒状に伸びる丸瓦の面が強調された行基葺(ぎょうきぶき)という屋根です。百済からの伝来ですが、韓国瓦の元祖ともいうべきものです。 法隆寺の五重塔は約1300年といわれています。厳選された木材と骨太の材料を宮大工の腕と知恵で「柔構造」として組み上げ、今日に至っています。今までお寺や五重塔は構造物としての耐用年数ばかりがいわれてきましたが、古代の屋根瓦が1400年も使用され続けている事実を初めて見ることができました。 古代の瓦博士は、これほどの年月に耐えられることを計算していたのでしょうか・・・。 手前切妻屋根(禅室)の妻側の赤褐色の部分と、寄棟屋根(本殿)の三角形の部分(赤褐色)が1419年前の行基葺 円錐形をした丸瓦(行基葺) 下にずれないように設計されている |
by isoda-shonan
| 2007-08-28 11:00
| コラム
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